プロボクシング50戦無敗の元5階級制覇王者のフロイド・メイウェザーが、日本時間11月14日(月)未明、英人気YouTuberのデジとボクシングエキシビションマッチで戦う。
現役時代から「マネー」のニックネームの通り、現役引退後も派手な言動で荒稼ぎする天才ボクサーの出身地、氏名、年齢、経歴、戦績などのプロフィールを紹介する。
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フロイド・メイウェザーの出身地、年齢
1977年2月24日、フロイド・ジョイ・シンクレアという母方の姓でミシガン州グランドラピッズに生まれた。父は、1980年代の「黄金のミドル級」世代を代表するシュガー・レイ・レナード(米国)とも対戦したプロボクサーであり、名トレーナーとして知られたフロイド・メイウェザー・シニア。その兄弟ジェフ、ロジャーもプロボクサーからトレーナーとしてのちのメイウェザーを指導した。
8歳の頃には母方の親戚が住むニュージャージー州ニューブランズウィックに移り住んだが、薬物依存がはびこる生活環境にあり、母親は中毒に陥り、叔母は命を落とすなど、メイウェザー自身、地獄のような日々だったと後述している。フロイド少年は、父からボクシングの手ほどきを受けるようになるが、姉や妹が寵愛を受けたのとはまったく違う、厳しい体罰を伴うものだった。12歳でメイウェザー姓に改名しているが、父との関係は一般的な父と子の関係ではなかったという。
父メイウェザー・シニアは、トレーナーの傍らドラッグの売人としての顔も持ち、政敵に銃で狙われた際に、赤子のメイウェザー・ジュニアを盾にしたというまことしやかな逸話もある。そうした家庭環境のなかで、父が投獄されると祖母のもとで暮らすようになった。
メイウェザー自身には、4人の子供と養子がひとりいる。すでに成人した長男はボクシングに触れてはいるものの、プロになる気はないといい、自身と父シニアとの関係がそうであったように、子供たちとの関係はあまり良いものではないと報道されている。
フロイド・メイウェザーのアマチュア時代
父の投獄中は、元2階級制覇王者の叔父ロジャーの指導を受け、1993年に米国内のアマチュア全国大会「ナショナルゴールデン・グローブス」のライトフライ級で初優勝。階級をあげながら1994年(フライ級)、1996年にも優勝(フェザー級)を果たしたが、当時から父と叔父の指導で身につけた高いディフェンス能力によって顔に傷を負うことがなかったため、「プリティボーイ」という異名をとった。
しかし、19歳のときに出場した1996年7月のアトランタ五輪では、フェザー級準決勝でブルガリア代表セラフィム・トドロフに疑惑の判定負けを喫し、銅メダルに終わった。米国代表チームは抗議したが結果は覆らず、ブルガリア人の審判委員長の不正行為であったことが後年に報じられた。その後の五輪でも続いた疑惑の判定のみならず、統括団体のAIBA(国際ボクシング協会)の不正経理など、アマチュアボクシング界の腐敗は2000年代にも続き、2019年にはAIBAがオリンピックから排斥されるまでに悪化した(パリ五輪でも運営資格を剥奪されている)。
いずれにせよ、この不当な結果はメイウェザーがアマチュアボクシングに見切りをつけるのには十分すぎる出来事だった。アマチュア戦績は、84勝6敗とも84勝8敗ともされている。
フロイド・メイウェザーの第1黄金期:プロ転向後から最初の引退まで
アトランタ五輪から3か月も経たない1996年10月11日、ロベルト・アポダカ(メキシコ)を2回TKOでくだしてプロデビューを飾った。プロ最初期のメイウェザーはアグレッシブなファイトでほとんどの試合をKOで締めくくっていた。15戦目からは体調不良の叔父ロジャーに代わり、再び父メイウェザー・シニアがトレーナー兼マネージャーに復帰した。
初の世界タイトル挑戦となったのがプロ18戦目、1998年10月3日のヘナロ・エルナンデス(米国)戦で、8回TKO勝ちでWBC世界スーパーフェザー級王座を初戴冠した。この年から名門誌『The Ring』が制定する「パウンド・フォー・パウンド」(階級不問の最強ランキング)トップ10にランクインし、世界的に注目されるファイターとなった。
一方で父との関係は悪化をたどり、2000年3月18日のグレゴリオ・バルガス(メキシコ)戦直前(判定勝ち)に袂を分かつと、次戦から叔父ロジャーがトレーナーに出戻る騒動があった。また、拳のけが、とくに左拳の状態が悪く、試合で苦しむ場面も出始めていた。そうした苦労を乗り越えて、2001年1月20日のディエゴ・コラレス(米国)との防衛戦は、体格差で劣るメイウェザーがそれを覆してTKO勝ちを収めた試合で、「天才」の評価を決定づける象徴的な試合となった。
とくに鉄壁のディフェンスの核となったのが、左肩を前面に向け、相手のパンチをスウェイし、あるいは肩(左腕)でブロックして瞬時に攻撃に転じる「ショルダーロール」と呼ばれるスタイルをベースにした技術で、相手や戦況に応じて「L字ガード」を駆使。相手の攻撃を封殺し、いなしてきた。
2002年からライト級に転向すると、4月20日、WBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・カスティージョ(メキシコ)を全会一致の判定でくだし、2階級制覇。ダイレクトリマッチも制し、初戦の疑惑の評価を払拭した。同王座の2度の防衛後、スーパーライト級に転向し、順調に勝ちを重ねて挑戦権を得ると、2005年6月25日にアルツロ・ガッティ(カナダ)を破り、WBC世界タイトルを奪取して3階級制覇を達成した。
同年には4階級目となるウェルター級に転じ、2006年4月8日にIBF世界王者ザブ・ジュダー(米国)と対戦。この試合はメイウェザーのダウンがスリップと判断され、ジュダーが報復とみられるローブローなど反則行為を繰り出したことで、両陣営のセコンド同士の乱闘が勃発するなど、前代未聞の事態に発展した。メイウェザーは3ー0の判定勝ちを収めて4階級制覇に成功するも、ジュダーとの再戦プランは頓挫し、ベルトは防衛戦をせずに返上。11月4日にはカルロス・バルドミール(アルゼンチン)に判定勝ちし、WBCタイトルも手にした。
2007年5月5日、メイウェザーはキャリア初期最大のハイライトといえる、史上初の6階級制覇者で当時WBC世界スーパーウェルター級王者だったオスカー・デ・ラ・ホーヤ(米国)との対戦のため、階級を転向。メイウェザーは2-1判定で勝利し、5階級制覇を成し遂げた。この世紀の一戦は当時のボクシング興行の売上とPPV売上の記録を更新した。7月28日、リッキー・ハットン(英国)を撃破してウェルター級無敗対決を制すと、ボクシング界でやり尽くしたとして、自身のプロモーション会社の経営に専念することを示唆。プロレスのWWE出演など経て、2008年6月、最初の引退を発表した。
フロイド・メイウェザーの第2黄金期:若きカネロ、アジアの巨星パッキャオとの対決
拳のけがの回復などもあり、2009年9月19日のフアン・マヌエル・マルケス(メキシコ)戦で現役復帰。2010年5月1日の3階級制覇王者のシェーン・モズリー(米国)戦は3-0で圧勝し、最前線復帰を印象付けた。2011年9月17日のWBC世界ウェルター級王者ビクター・オルティス(米国)を4回KOでくだし、同王座2度目の戴冠となった。2012年5月5日には、実力者ミゲル・コット(プエルトリコ)を判定で破り、WBA世界スーパーウェルター級スーパー王座とWBC同級ダイヤモンド王座を獲得した。
ただ、オルティス戦でのだまし討ちKO劇(バッティングの謝罪をした直後の戦闘態勢に入っていなかったオルティスをワンツーでKOした)や、リング外でも内縁の妻(最初の3人の子の母)への暴行で収監されるなど、トラッシュトーカーというキャラクターを越えたダーティなイメージが付き始めた。
2013年9月14日、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで中量級を席巻していた「カネロ」ことサウル・アルバレス(メキシコ)とのメガマッチは、その若き天才ファイターを翻弄したメイウェザーの全会一致の判定勝ち。WBA世界スーパーウェルター級王座を統一し、WBC同級王座を獲得。さらにPPV売上記録を再び塗り替えた。
2014年はWBA世界ウェルター級スーパー王者マルコス・マイダナ(アルゼンチン)との遺恨抗争を展開。5月3日の初戦は反則行為連発のマイダナの猛攻をいなしたメイウェザーが判定勝ちで先制した。9月13日の第2戦では、8ラウンド中にマイダナがメイウェザーをヘッドロック状態に抑え込みつつ左手を噛んだのではないかという疑義がつくなど荒れ模様となったが、やはりメイウェザーが優勢で判定勝ち。WBAスーパー・WBC世界ウェルター級王座に加え、特例で認定されたWBC世界スーパーウェルター級王座の防衛にも成功した。
そして第2黄金期を象徴するのがフィリピンの英雄マニー・パッキャオ戦だ。2009年に対戦合意報道があってから約5年半を経た、2015年5月2日、ようやく実現した試合は、左肩のけがを押して強行出場したパッキャオが精彩を欠き、メイウェザーが圧倒。全会一致の判定勝ちで、アジアの巨星を制し、中軽量級の世界最強の座を手に入れた。PPV売上も460万件で4億1000万ドルという当時米国史上最高額を記録し、総収益は同じ年のNFLスーパーボウルを上回ったといわれるなど、「マネー」の異名通りの荒稼ぎをした。
パッキャオとの再戦交渉決裂後、2015年9月12日のWBA世界ウェルター級暫定王者アンドレ・ベルト(米国/ハイチ)との統一戦に勝利したメイウェザーは、2度目の引退を発表した。
フロイド・メイウェザーの3度目の引退とエキシビションマッチビジネス
49戦49勝0敗で引退したメイウェザーだったが、キリのいい「50戦50勝0敗」に更新するため、総合格闘技『UFC』2階級王者のコナー・マクレガー(アイルランド)とのボクシング公式戦(スーパーウェルター級契約)で現役復帰。2017年8月26日、ラスベガスのT-モバイル・アリーナで行われた世紀の越境対決は、メイウェザーの10回TKO勝ちで自身の戦績を更新した。メイウェザーだけでも約3億ドルを稼いだとされる。
3度目の現役引退を宣言したメイウェザーだが、マクレガーとの総合格闘技戦やパッキャオとの再戦が取り沙汰されるなか、2018年12月31日、日本のRIZIN大晦日大会でキックボクサーの那須川天心とボクシングルールでのエキシビションマッチを行い、1回TKOで圧勝した。
世界的なコロナ禍で2年半の期間があいたが、メイウェザーはエキシビションマッチビジネスに旨味を見出し、2021年6月6日に米人気お騒がせ系YouTuberのローガン・ポールと対戦(ドロー)、2022年5月21日にアラブ首長国連邦アブダビで、スパーリングパートナーのドン・ムーアと対戦し、こちらもドローとなっている。
その後、6月13日に、『超RIZIN』(9月25日、さいたまスーパーアリーナ)において総合格闘家でYouTuberの朝倉未来とのエキシビションマッチを発表。試合は2回TKOでメイウェザーが勝利した。
メイウェザーは、自身が取り組むエキシビションマッチについて、あくまでエンターテイメントであることを過去に話しており、4度目の現役復帰は「絶対にない」と明言している。晩年の叔父ロジャーがパンチドランカー症状に苦しんでいたのを間近でみて、キャリア途中からファイトスタイルを変えた。その叔父も58歳の若さで2022年3月に亡くなっており、現役を続ける危険性を理解するメイウェザーだけに、パッキャオ、マクレガーとの再戦が実現するとしても、エキシビションになる可能性が高い。
関連記事:米国人記者はメイウェザーと戦う朝倉未来をどうみる? 元UFC王者マクレガーと比較|超RIZIN特集
フロイド・メイウェザーの純資産は?
著名人総資産額サイト『Celebrity Net Worth』によると、現在メイウェザーは約4億5000万ドル(1ドル約146円のレートで約654億6400万円)の資産を有しているという。ボクシングの内外でのキャリア収入は、通算で約11億ドル(約1606億円)にのぼる。
プロとしてのキャリアのなかでは、1試合で最大3億ドルを稼いだとされる(マクレガー戦)。 「マネー」の異名通り、驚異的な稼ぎをあげている。
朝倉未来戦に合わせての来日では、銀座や六本木での豪遊や爆買いが確認されており、スポーツメディアのみならず、ゴシップを扱う週刊誌もこぞってメイウェザーの金満ぶりを報道した。
フロイド・メイウェザーのキャリア収益
『The Sports Daily』によると、2012年のミゲル・コット戦においてメイウェザーは約4500万ドル、カネロ戦では約7300万ドルを稼いだ。プロとしての最大額は前述通りマクレガー戦の3億ドルとされる。すべてPPV売上を含んでいる。
エキシビション戦では、ローガン・ポールの試合で、メイウェザーは基本給1000万ドルと50%のPPV売上を保証され、1億ドル稼いだと豪語した。2018年の那須川天心戦の報酬は、900万ドルだったと伝えられている。ドン・ムーア戦については、アブダビでの会見だけで100万ドルを手にしたという。
フロイド・メイウェザーの記録と略歴
- 本名:フロイド・ジョイ・メイウェザー・ジュニア(Floyd Joy Mayweather Jr.)
- ニックネーム:マネー、プリティボーイ
- 国籍:アメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズ
- 生年月日:1977年2月24日(45歳)
- 身長:5-8 ft,(173cm)
- リーチ:72 in(183cm)
- プロ総試合数:50
- プロ戦績:50勝(27KO)0敗0分
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※本記事は、本誌英語記事(著者Daniel Yanofsky)から一部抜粋し翻訳、再編集のうえ、大幅に追加情報を加えた日本版記事となる。