ラスベガス ― 最終ラウンドの終了を知らせるゴングが鳴った時、マニー・パッキャオは知っていた。T-モバイル・アリーナに詰めかけた17,438人のファンは知っていた。テレビで観戦していた何万人ものファンも知っていた。
だが、私たちは皆、それを自分の耳で確認せずにはいられなかった。
マニー・パッキャオがヨルデニス・ウガスに敗北した。
この日のパッキャオはファンに見せたかった姿ではなかった。試合の11日前に、WBC・IBF世界ウエルター級王者エロール・スペンス・ジュニアが網膜裂孔のために欠場することが発表された後、パッキャオの対戦相手は急遽ウガスに変更された。
身長とリーチでパッキャオを凌駕するこのキューバ人ボクサーに対して、パッキャオは体格差の不利をはね返すことができなかった。良い内容の試合ではあった。パッキャオは持てる力を振り絞り、懸命に前に出て、パンチの手数も多かった。だが、鋭いジャブで距離を取るウガスの牙城を破ることはできず、起死回生を狙った大振りの右フックもターゲットを外し続けた。
ある意味では、これが最高の結末だったのかもしれない。ウガスが対戦相手になることが発表される前、パッキャオがスペンスに勝つ可能性はずっと低いと見られていたからだ。スペンスはウガスよりさらに身長とリーチが長く、パウンドフォーパウンドでも世界で5本の指に入るとの評価が揺るぎないボクサーなのだ。スペンスはウガスより強敵だと誰もが考えるはずだ。パッキャオの相手がスペンスだったら、結末はもっと惨めなものになっていたかもしれないし、対戦相手が変更されたことはパッキャオにとっては幸運だったのかもしれない。試合後も正気を保つことができて、大怪我を負うことはなかった、という意味あいにおいて。
パッキャオは敗戦後のリング上で失望を隠せず、「ひょっとしたら、リングの上でマニー・パッキャオを見ることはもうないかもしれない。今はまだ分からない。まずは休んで、それから戦うことを続けるかどうかを決める」と言った。
傷口も十分に塞がっていない状態で臨んだ試合後の記者会見では、パッキャオは明言を避けつつも、自身の進退についてやや詳しく語った。
「この世界で生命が尽きた時は、我々にできることは何もない。このスポーツは私の情熱であり、それこそが私が42歳になっても戦い続けている理由だ。私はそれを楽しんでいる。しかし、人はいつか、自分の身体の寿命について考えなくてはいけない」
パッキャオは戦い続けたいという気持ちから逃れることはできなかった。しかし、ボクシングは年齢を重ねた者にいつも優しいスポーツだとは言えない。前回の試合でキース・サーマンと対戦したときのパッキャオは驚異的なコンディションに見えた。しかし、2年以上も実戦から遠ざかるということは、20代と40代では身体に与える影響がまったく異なる。そしてウガスはパッキャオにとってこの上ない難敵でもあった。
ウガスは素晴らしいファイターであるが、ボクシング界以外ではよく知られている名前だとは言えない。しかし、専門家らはウガスの持つ技術はパッキャオにとって大きな脅威になることを予想していた。パッキャオは自身の政治家としてのスケジュールと、誰とでも戦うという信念から、この試合を避けることはできなかった。ファンと国民の期待に応えたかったし、それまで積んできたトレーニングを無駄にしたくもなかった。
ウガスは見事にパッキャオを封じ込めた。何よりも重要なことは、ウガスはパッキャオがただ高齢であることを我々に見せつけただけではなく、147パウンド(ウエルター級)ではそれほど大きな成功を収めていないことも思い出させた。
パッキャオのこの階級での勝敗は13勝5敗である。5敗とはパッキャオがここまで72試合のキャリアで喫した敗北の半分以上を占める。一度だけ154パウンド(スーパーウエルター級)で戦ったアントニオ・マルガリート戦を除けば、パッキャオのKO率はウエルター級のそれがもっとも低い。
つまり、こういうことなのだ。
パッキャオはついに年齢からくる衰えを隠せなくなったのかもしれない。あるいは、ただ単に間違った階級で戦っているだけなのかもしれない。
パッキャオはボクシングのキャリアと大統領選出馬を天秤にかけて、どちらかを選ばなくてはならないだろう。もしボクサーとして戦い続けることを選ぶのであれば、階級を140パウンド(ライトウエルター級、またはスーパーライト級)に戻すことが良策ではないだろうか。
これは年齢にはあまり関連はなく、むしろパッキャオの身体のサイズに起因するところが大きい。パッキャオのより大きな困難に立ち向かうという信念が、ウエルター級の壁に挑み続けた理由かもしれない。それはまるで解けないルービック・キューブのようなものだ。パッキャオにこの階級を諦めることを提案することは、この数々の不可能を可能にしてきた偉大なファイターにとって失礼なのかもしれない。
しかし、現実というものがある。それに直面した時に、人は難しい決断を下さないといけない。パッキャオがボクシングのキャリアを続けていきたいと望むなら、それは140パウンドで行うべきなのだ。147パウンドで身体的なハンディを乗り越えることに才能を使うべきではない。パッキャオは140パウンドで1試合だけ戦っている。そしてリッキー・ハットンを2回KOで下しているのだ。パッキャオの身体は明らかにこの階級向きであるし、さらにこの階級にはパッキャオの輝かしいキャリアの最後を飾るに相応しい多くのチャレンジャーたちがひしめいている。
まずは4団体統一王者のジョシュ・テイラー。そしてガーボンタ・デービス、レジス・プログレイス、ホセ・ラミレスらの名前も続く。マイキー・ガルシアなら来年1月にもマッチアップが可能なはずだ。さらには1つ下の135パウンド(ライト級)から階級を上げてくるボクサーがいるかもしれない。この階級ではテオフィモ・ロペス、デヴィン・ヘイニー、ライアン・ガルシアらがしのぎを削っている。パッキャオは復帰戦で若いファイターを相手にしたくはないかもしれない。
しかし、もしガルシア対パッキャオが実現したら、見たくないファンはいるだろうか? 体格差が大きくない相手なら、パッキャオはまだ誰とでも戦える。ウガスはあまりにも大きすぎたし、パッキャオを無力化する技術も兼ね備えていた。しかし、135パウンドや140パウンドの相手なら、そうは簡単にはいかないだろう。
自尊心と誇りを持つことは素晴らしい。それらが傷つけられるまでは気がつかないこともある。取り戻したいという気持ちは抑えることが難しい。パッキャオがどれだけ満足しているように見えても、敗戦によって終える屈辱は彼をこれからも苦しめるだろう。傷はまだ癒えてはいない。だからパッキャオは時間をかけてゆっくりと考えるべきだ。
メディアやファンが要求するからと言う理由で、早急な決断を下すべきではない。パッキャオは生まれついてのファイターである。ボクシングのキャリアを続けて、さらなる強敵と戦いたいという気持ちは自然な欲求だろう。時の流れに逆らうことは誰にもできないし、それを無視することも誰にもできない。政治家として頂点を目指すなら、ボクシングの世界から離れることを決心しなくてはならないだろう。
もし時間が許すなら、パッキャオにはボクシングを続ける道は残されている。パッキャオ自身がより大きな困難に、しかも最良の結果をもたらすとは限らない挑戦を受け入れるなら、の話ではあるけれど。
(翻訳:角谷剛)