2022年のF1最終戦・アブダビGPをもって、4度の世界王者に輝いたセバスチャン・ベッテルが引退した。ベッテルは10位入賞で華を添えたかたちになったが、過去のチャンピオンたちの引退レースがどのようなものだったのか。
なかには、不本意なかたちでレースを終えた者もいれば、ライバル関係のドラマが垣間見えた者もいる。そんな「チャンピオンたちの引退」にスポットライトを当て、彼らのF1での最終レースをいくつか紹介したい。
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長年のわだかまりをほどいたプロスト
1993年、ウィリアムズでのシーズンを送っていたアラン・プロストは、この年の第14戦(当時は年間16戦で行なわれていた)のポルトガルGPを前に記者会見を開き、引退を宣言した。アイルトン・セナ(マクラーレン)とのチャンピオン争いに王手を掛けていたプロストは、このレースを2位で終え、4度目の世界チャンピオンを確定させる。
つづく日本GPを経て行われた、この年の最終戦のオーストラリアGPは、彼の引退レースになると同時に、長年にわたってライバル関係を取り沙汰された、セナとの最後の勝負の舞台にもなった。
このレースはセナが優勝、プロストが2位という結果に終わる。表彰式へ向かうべくマシンを止めた2人は歩み寄り、ガッチリと握手を交わす。表彰台の上で、セナはプロストを1位のポジションへと招き、腕を上げて、これまでの健闘を称えた。
1984年、当時マクラーレンに所属していたプロストを、新興チーム「トールマン」の一員だったセナが、雨のモナコGPで追いかけ回したことで始まった2人のバトル。1988年にはマクラーレン・ホンダでチームメイトとなったものの、チーム全体を巻き込んで争い合い、わずか2年で決裂してしまった。その後も、コース内外にかかわらず話題を振りまき続けた2人の関係は、ちょうど10年目に、プロストの「勝ち逃げ」によって終止符が打たれることとなった。
引退後の1994年、解説者となってサーキットに戻ってきたプロスト。対するセナはプロストの後任としてウィリアムズのドライバーとなり、チャンピオン奪回を目指していた。
この年の第3戦・サンマリノGPの決勝日、フランスの放送局向けにコース解説のための走行を担当したセナは、無線でプロストに向けて、「君がいなくなって寂しい」とメッセージを送った。セナがその数時間後、レース中のクラッシュによってこの世を去ることになろうとは、このとき誰も予期できなかっただろう。
2度の引退レース、ともにパンクに泣かされたシューマッハ
7度の世界王者に輝き、通算91勝を挙げたミハエル・シューマッハは、2006年シーズン限りで引退を決意する。
ただ、当時の彼はルノーのフェルナンド・アロンソとの熾烈なチャンピオン争いの渦中にあり、「チャンピオンになって引退」というエンディングを迎えられるかが注目されていた。最終戦を前に、シューマッハのランキングはアロンソに10ポイント差を付けられての2位。当時のポイントシステムでは、シューマッハが優勝、アロンソがノーポイント(当時は9位以下)という条件以外で、シューマッハのチャンピオンは望めなかった。
10番手からレースを始めたシューマッハだったが、アロンソの僚友、ジャンカルロ・フィジケラと接触した際にタイヤがバースト(破裂)。最後尾まで転落してしまう。その後、猛追して4位までポジションを戻したが、2位でフィニッシュしたアロンソがチャンピオンに。ほろ苦い引退レースとなってしまった。
#OnThisDay in 2006, in São Paulo, after a puncture that had dropped him to the back of the field, Michael Schumacher raced brilliantly to 4th, a fitting end to a stunningly successful #F1 career. He later returned, with Merc, but IMHO he probably shouldn’t have. (1/2) pic.twitter.com/DpKsGXWIrK — Matt Bishop 🏳️🌈 (@TheBishF1) October 22, 2022
その後3シーズンにわたってフェラーリのアドバイザーを務めたシューマッハは、ベネトン、フェラーリでコンビを組んだエンジニアである、ロス・ブラウンがチーム代表を務めていたメルセデスからの現役復帰を果たす。
だが、復帰時点で41歳となっていたシューマッハは精彩を欠いた走りが続き、成長著しいニコ・ロズベルグに水をあけられるレースが続いてしまう。
そんななか、復帰3年目の2012年シーズンを最後に、シューマッハは2度目の引退を選ぶ。最終戦の舞台は6年前と同じブラジルだった。ただ、このレースでもシューマッハは序盤にタイヤがパンク。追い上げのレースをまたも演じることとなった。レースは最終盤のクラッシュをきっかけにセイフティーカー(SC)の先導でのフィニッシュとなり、シューマッハは7位でレースを終えた。
#OnThisDay in 2012, an @F1 legend retired from the sport ❤️
The Brazilian GP was the last race of Michael Schumacher's epic career 🙏 pic.twitter.com/zlR8LUX3YP — Mercedes-AMG PETRONAS F1 Team (@MercedesAMGF1) November 25, 2022
レースを終えたシューマッハは、このレースで3度目のチャンピオンを決めた、同じドイツ人ドライバーのセバスチャン・ベッテルの元へ向かってハグ。F1で頂点を極めたベッテルについて「友人としてとても誇りに思うし、今後が楽しみだ。」とコメントを残し、今度こそサーキットをあとにしたのだった。
後輩の死に、走らないという決意を見せたスチュワート
大きく時代がさかのぼって1973年のこと、当時のティレルチームでチャンピオンに輝いたジャッキー・スチュワートは、シーズンの序盤の時点で引退を決意し、チーム首脳陣やエンジンサプライヤーのフォードともその取り決めを交わしていたという。しかし、引退の意向は公には伏せられたままとなっていた。
この年のスチュワートは好調そのもので(シーズン5勝)、シーズン15戦のうち13レースを終えた時点で3回目のチャンピオン獲得を決めてしまった。そのアシスト役となっていたのがスチュワートの「弟分」であったチームメイトのフランソワ・セベールで、トップを走るスチュワートを決して追い抜くことなく、影のように寄り添って走り続けていた。
一方で、ティレルチームは翌年以降、セカンドドライバーのセベールを新たなエースとするプランを温めており、さらにジョディ・シェクターを招き入れ、若手コンビで売り出そうという算段を思い描いていた。そして迎えた、最終戦のアメリカGP。彼はこのレースを引退の花道とするつもりだったのだが、予選中にセベールが高速S字コーナーでクラッシュし、壮絶な死を遂げてしまう。
かつてチャンピオンを争ったジム・クラークやヨッヘン・リントなどもレース中の事故で亡くなるなど、度重なるドライバーたちの事故死に心を傷めていたスチュワートにとって、愛弟子のセベールが亡くなったことは大きなショックで、グランプリ100戦目となる決勝を走ることなく、引退を選んだのだった。
エースとエース候補の2人を同時に失ったティレルチームは、翌年以降をシェクターとパトリック・デュパイエのコンビで戦うことになる。その後登場した奇抜な「6輪車」P34の存在や、中嶋悟とホンダエンジン、片山右京とヤマハエンジンの組み合わせで戦ったことなどもあって、日本のF1ファンにもなじみ深いチームであり続けた。だが、結局はチャンピオン戦線に返り咲くことなく、次第にチーム成績は低迷。1998年を最後に撤退してしまう。
F1の歴史に「if」があるとして、セベールが亡くならなかったらどうなっていたのか。スチュワートからセベールへ、時代のバトンを受け継がれた…という世界もあったのではないかと考えると、あまりにも悲劇的な引退だったといえる。
チャンピオン獲得で燃え尽きたロズベルグ
1982年のF1チャンピオン、ケケ・ロズベルグの息子であり、2005年に、F1下部カテゴリーである「GP2」の初代王者となったニコ・ロズベルグは、翌2006年にウィリアムズからF1デビューを果たす。ウィリアムズには4シーズン在籍し、トヨタエンジンを搭載していた2008年からは中嶋一貴がチームメイトとなった。この中嶋とのコンビは、ウィリアムズでは1996年にデイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴがコンビを組んで以来となる「2世コンビ」となったため、これまた注目の的となった。
そのロズベルグは2010年からメルセデスに移籍。移籍3年目の2012年シーズンにF1での初優勝を記録すると(これが現在のメルセデスチームとしても初優勝)、ルイス・ハミルトンにチームメイトが交代した翌2013年も2勝し、メルセデスをトップコンテンダーの座に押し上げていく。
そして、2014年の車両規則変更で、全てのマシンがハイブリッドとターボエンジンという組み合わせになると、メルセデスは圧倒的な戦闘力を武器にシーズンを席巻し、ロズベルグもハミルトンとの一騎打ちを度々演じていくこととなる。
2016年シーズン、開幕4連勝を果たして勢いに乗ったロズベルグだが、中盤戦でハミルトンの猛追を受け、一時はランキング2位に後退してしまう。ただ、そこから再び盛り返したロズベルグはハミルトンのプレッシャーをはねのけて、この年の最終戦でチャンピオンを獲得。1996年のヒルが達成して以来となる、史上2組目の「親子チャンピオン」の称号を手にした。
ロズベルグは、このシーズン途中の時点で2018年までの契約に一度合意していたという。だが、最終戦の5日後に、彼は自身のツイッターで引退を表明する。実は、ロズベルグは終盤戦の日本GPで勝利し、自力でのチャンピオン獲得をほぼ手中に収めた時点で、引退を思い描いていたのだ。そしてチャンピオンを現実のものとした瞬間に、決断を下したのである。ある意味、史上最強の「勝ち逃げ」を決めた瞬間でもあった。
現役のチャンピオン経験者は3人に
ベッテルの引退にともない、来シーズンのチャンピオン経験者は、アストンマーチンに乗る2005・2006年王者のフェルナンド・アロンソ、史上最多・8度目の王者に挑むメルセデスのルイス・ハミルトン、そしてレッドブルで2連覇中のマックス・フェルスタッペンの3人となる。
フェルスタッペンはまだ来季の開幕時点で25歳と若いが、ハミルトンはその時点で38歳、アロンソも41歳と、キャリアの終わりを取り沙汰される年齢に差し掛かっている。彼らにも、必ずF1を去る瞬間が訪れる。その最後がどのような結末をたどるのか。彼らの中に温められた考えのとおりになる場合もあれば、突然の出来事でキャリアの終止符を打つ可能性もある。
その行く末はどうなるのか、当人たちも、もちろんファンである我々も知り得ないことだろう。
オフシーズンも随時コラム更新
スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。