【F1コラム】2026年参入のフォードは再びエポックメーカーになれるか

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Ford Cosworth DFV Engine, on Lotus 49
Getty Images

このほど、F1でレッドブルとパワーユニット(PU)分野での提携を発表したフォード。アメリカ発の自動車メーカーでありながら、ヨーロッパを主戦場とするF1に対して、非常に大きな爪痕を残してきた企業でもある。主に1970年代のF1の歴史、そして現在に至る空力戦争は、フォードが生み出したエンジンによってもたらされたといっても過言ではないからだ。

「レッドブル・フォード」に迫る2本立てコラム。前回はレッドブル・レーシングとPUにまつわる歴史を取り上げたが、第2回はこれまでのF1におけるフォードの歩みを紐解いていく。

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ル・マン勝利の余韻のなかで

フォードの名前がF1に登場したのは1967年のこと。前年にル・マン24時間レースで優勝を果たしたフォードは、モータースポーツへのさらなる進出を狙っている時期で、当時フォード車のスポーティーモデルを開発していたロータスの打診を受けてF1に参画するようになる。ロータスはイギリスのエンジンビルダーである「コスワース」が新たに開発した3リッター・V型8気筒エンジンを自社のF1マシンに搭載しようとしていたのだが、その開発費をまかなうスポンサーを欲していたのだ。

これにより誕生した「フォード・コスワース・DFVエンジン」は、メンテナンスの手軽さ、フェラーリやホンダなどの当時参戦していた12気筒勢に対する軽さやコンパクトさ、そしてエンジンそのものを車体の一部とする画期的な設計を武器に、一気にF1界を席巻するようになった。これにより、F1の世界はそれまでのエンジンのパワーで争った時代から、空力やタイヤなど、マシン全体の性能を競う時代へとシフトしていく。今のF1では欠かせないウイングや、溝のない「スリックタイヤ」などが生まれたのも、この時期のことだ。

途中、ライバルとの開発競争に後れを取りかけた時期もあったが、1970年代後半に、ロータスが空力を最大限に活かした「グランドエフェクトカー」と呼ばれるマシンを開発(こちらも2023年現在のF1マシンの作りに通ずる)。これにDFVエンジンのコンパクトさがピタリとはまって、再びの黄金期を築いたのである。

だが、フランスのルノーが投入したターボエンジンの競争力・信頼性が増してくると、F1は再びパワー戦争の時代に。フェラーリが追いかけるようにターボエンジンを投入し、さらにはBMWやホンダが当時のF2で使用されていたエンジンをベースにF1用ターボエンジンを持ち込むと、800馬力、1000馬力という世界での戦いが勃発する。その状況で、どれだけチューニングを施しても500馬力そこそこが限界だったDFVエンジンでは、もはや太刀打ちなどかなうはずがなかった。

1985年にフォードとコスワースは新規参入チームのハース(現在F1に参戦中のハースとは無関係)に新開発のターボエンジンを投入するが、すぐには戦績には結びつかず。この年のシーズン途中に最後のDFVユーザーだったティレルがルノーのターボエンジンを獲得してマシンチェンジを行なったことで、フォードの時代は一旦終わりを迎えることとなった。

ベネトンと迎えた再びの栄光

F1では1988年限りでターボエンジンが禁止されることとなり、その過程のなかで1987年ごろから、DFVのような自然吸気と呼ばれるタイプのエンジンが徐々に優遇されるようなレギュレーションが導入されていく。具体的には自然吸気エンジンの大型化が認められたり、より大きな燃料タンクの使用が認められたりといった具合だ。フォードとコスワースは当時契約を結んでいたベネトン(現在のアルピーヌの前身チーム)に対してターボエンジンの供給を続ける一方で、DFVをベースとした改造エンジンをF1へと投入。「DFZ」「DFR」と呼ばれたエンジンが再びグランプリを走った。だが、基本設計が20年以上前のエンジンを改造したのではさすがに満足な成績を挙げられなかったこともあって、まったくの新開発エンジンの投入を決断する。

「HB」と名付けられた新エンジンはまず1989年にベネトンへと供給され、その後の度重なるバージョンアップで競争力を伸ばしていく。次第に当時のホンダ、ルノー、フェラーリの3者が繰り広げていたパワー戦争に割って入るようになったのだ。1993年にはホンダの撤退でエンジンを失ったマクラーレンにもHBエンジンが供給されるなど、再びフォード・コスワースが勢力を拡大していく。

そして、1994年にはさらなる新開発エンジン「ZETEC-R」を得たベネトンのミハエル・シューマッハがチャンピオンを獲得する。ZETEC-Rエンジンはその後もいくつかの仕様変更や新規開発を加えつつ、1998年まで使用された。

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ついにフォード本社が本腰を入れるも

1998年にコスワースがアウディの子会社となったことを受け、フォードは急きょ、コスワースのレース部門を買収して子会社化。ついにフォードが本格的にF1へと関わりを持つこととなったのだ。

1999年には、コスワースエンジンの供給先だったスチュワートチームを買収し、本格的なフォードの直系チームへと体制変更を行なう。当時のフォード傘下の自動車メーカーだった「ジャガー」の名を借りて翌2000年からF1を戦うことになった。だが、チーム内外の権力争いが絶えず、さらにはフォード本社の意向がチームに直撃する状況が続く。この間も他チームへのエンジン供給は散発的に続いていて、ジョーダン(現在のアストンマーチンの前身チーム)やミナルディ(現在のアルファタウリの前身チーム)が供給を受けていた。

スチュワートチームが徐々に成長を見せていたのとは対照的な低迷が続き、ついに2004年シーズンをもって、ジャガーは撤退を決める。そこで宙に浮いたチームを買い取ったのは、なにを隠そうレッドブルだったのだ。レッドブルはジャガーが残したマシンやエンジンを引き継いで参戦を開始し、後にタイトルコンテンダーへと成長する。コスワースはジャガーの撤退と時を同じくしてフォード傘下から売却され、その後は独立したエンジンビルダーとしてF1へと関わり続けた。

一度は途絶えたフォードによるF1参戦が、それを引き継いだレッドブルとのタッグという形で復活することとなった。まだ先のことではあるが、ひとつ、また新たなドラマとなっていくのではないだろうか。

オフシーズンも随時コラム更新

スポーティングニュース日本語版では、オフシーズンもF1にまつわるコラムの更新を予定している。来シーズンに向けた話題や、過去のF1にまつわる雑学的なもの、F1初心者という方から、玄人の皆さんでも思わず頷くような内容まで幅広く取り扱う予定だ。ぜひオフシーズンの楽しみとしていただきたい。


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茨城大学卒。福島県内のテレビ局で報道記者を務めたあと、web編集者を務めた2019年からモータースポーツの取材を行う。2020年に独立後、Bリーグの取材を開始し、現在は記事執筆のほか動画コンテンツの編集などで活動中。
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