当時のアイザイア・トーマスとドリームチームメンバーを比較
マイケル・ジョーダンとシカゴ・ブルズが優勝した1997-98シーズンを追ったドキュメンタリーシリーズ『The Last Dance』(邦題『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』/Netflix)の第5話では、1980年代後半から1990年代前半まで続いたブルズとデトロイト・ピストンズのライバル関係が再び取り上げられる。具体的には、ジョーダンとアイザイア・トーマスの間にあると言われる確執についてだ。
2人の間には、いくつか逸話がある。例えば、ジョーダンが初めてオールスターゲームに出場した1985年の大会では、トーマスが中心になり、当時新人だったジョーダンにボールを渡さないようにしたという話や、1992年のバルセロナ・オリンピックに派遣されたドリームチーム結成の際、トーマスが代表に入ったらバルセロナに行かないとジョーダンが発言したという逸話もある。
結果的にトーマスはドリームチームから外れたわけだが、当時の彼の実力からして、代表に選出されるべき選手だったのだろうか? 代表入りが確実視されたジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バードを除くペリメーター選手とトーマスを比較したい。
トーマス vs ジョン・ストックトン
まずは、マジック以外にポイントガードから選出されたジョン・ストックトンと比較しよう。1992年のオリンピック前の2シーズンでの個人成績は、以下の通りだ。
トーマス:17.6得点、8.0アシスト、3.2リバウンド、FG44.2%
ストックトン:16.5得点、14.0アシスト、3.1リバウンド、FG49.5%
ストックトンは、1990-91シーズンにアシスト王に輝き、1991-92シーズンでもアシストとスティールでリーグ1位の数字を残した。
より細かなスタッツを比べてみると、2人の差が明確になる。ある選手の攻守両面におけるチームの勝利への貢献度を表すWin Shares(WS)では、ストックトンが27.5だったのに対してトーマスは9.2、プレイの効率を表すプレイヤー・エフィシエンシー・レーティング(PER)では、ストックトンが23.1だったのに対してトーマスは16.5、出場した時間帯での得失点差を表すプラスマイナスでは、ストックトンが+8.5だったのに対してトーマスは+1.7だった。
1990年から92年まで、ジャズは109勝55敗を記録し、3度プレイオフシリーズを勝ち上がった。対するピストンズは98勝66敗で、2度プレイオフシリーズを勝ち上がった。
ただ、ストックトンは1991年のオールNBAサードチーム、1992年のオールNBAセカンドチーム、両シーズンでオールディフェンシブ・セカンドチームに選出されたのに対して、トーマスは1987年以降オールNBAチームにも、オールディフェンシブチームにも選出されていない。
よって、その時点でどちらが優れていたかは明白だ。
トーマスをペリメーター選手として選出していたら、ポイントガード3名がドリームチームに加わっていた可能性もあった。バードの選出は確実だったため、トーマスが選ばれていたらクライド・ドレクスラー、クリス・マリン、スコッティ・ピッペンという人選に疑問を呈することになっていたかもしれない。
ストックトンのときと同様に、まずはトーマスと各選手をそれぞれ比較してみていこう。
トーマス vs クライド・ドレクスラー
トーマス:17.6得点、8.0アシスト、3.2リバウンド、FG成功率44.2%
ドレクスラー:23.2得点、6.4アシスト、6.6リバウンド、FG成功率47.6%
スタッツだけを見れば、ドレクスラーのほうが上だ。当時のドレクスラーは全盛期にあり、PERでも22.8対16.5、WSでも25.2対9.2、プラスマイナスでも+7.7対+1.7でトーマスを圧倒している。
それに、1991-92シーズンのチームの戦績についても触れないわけにはいかない。トーマスのピストンズが1992年のプレイオフ・ファーストラウンドで敗退したのに対して、ドレクスラーのポートランド・トレイルブレイザーズはNBAファイナルに勝ち上がり、ジョーダン率いるブルズに敗れた。
また、ドレクスラーは1992年のオールNBAファーストチーム、1991年のオールNBAセカンドチームにも選出された。
これだけで十分ではないのなら、ドレクスラーが2位に選出された1992年のシーズンMVP投票結果についても触れておきたい。トーマスは、メディア関係者から一票も投じられなかった。ドリームチームのヘッドコーチを務めたチャック・デイリーとトーマスの間には深い結び付きがあるとはいえ、彼の人選に異論を唱えるのは難しかったと言える。
トーマス vs クリス・マリン
ゴールデンステイト・ウォリアーズの中心選手だったクリス・マリンは、非凡な得点能力を持つフォワードとして、当時キャリア全盛期を迎えていた。
トーマス:17.6得点、8.0アシスト、3.2リバウンド、FG成功率44.2%
マリン:25.7得点、3.8アシスト、5.5リバウンド、FG成功率53.0%
ストックトン、ドレクスラーのときの同様に、マリンはPER(20.6)、WS(23)、プラスマイナス(+4.2)でも優勢だ。
当時のウォリアーズは、プレイオフシリーズを1度勝ち上がっただけで、レギュラーシーズンでの勢いをポストシーズンで生かせなかった。しかし、マリンはNBAトップクラスの選手として評価され、1992年のオールNBAファーストチームにジョーダン、ドレクスラー、カール・マローン、デイビッド・ロビンソンとともに選出されている。議論の余地はない。
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トーマス vs スコッティ・ピッペン
最後はスコッティ・ピッペンとの比較だ。彼はスタッツに反映されない部分で貢献できる選手だが、それでもオリンピック前の2シーズンでは見事な成績を残している。
トーマス:17.6得点、8.0アシスト、3.2リバウンド、FG成功率44.2%
ピッペン:平均19.4得点、6.6アシスト、7.5リバウンド、FG成功率51.2%
PER(21.1)、WS(23.9)、プラスマイナス(+5.9)でもトーマスを上回っている上に、ピッペンは1991年と92年のブルズの2連覇に大きく貢献した。
個人賞でも、1991年と1992年のオールNBAセカンドチーム、オールディフェンシブ・ファーストチームに選出され、両シーズンのMVP投票で、少なくとも1票を獲得した5選手(ほかの4名はジョーダン、ドレクスラー、ロビンソン、マローン)のひとりだった。
ドリームチームのメンバーが選出された際、実際に何が起こったのかはわからない。ただ、一般的なスタッツ、高度なスタッツ、当時所属したチームの戦績、メディア関係者の評価は、トーマスの選出を支持していなかったというのが現実だ。
原文:¿Merecía realmente Isiah Thomas formar parte del Dream Team de los Juegos Olímpicos de 1992? by Juan Estevez/NBA Argentina(抄訳)